震災を乗り越えて 〜出稼ぎ社長、千里を走る!! 〜

はじめに、東日本大震災に被災された皆様、そのご家族、関係者の方々に対し、心よりお見舞いを申し上げます。

また、使命感を持って、今もなお、危険な原発の復旧作業に不眠不休であたる、関係者の皆様方に、敬意を表しますとともに、身の安全が守られることをお祈りいたします。

アジア経済は自粛なんかしていない! 日本からの製品供給を死守せよ

『コンナ、指、入んない人、ハジメです』

行きつけのマッサージ屋さん、王さんに体がカチカチだと言われてしまった。

「福島の協力工場が被災して部品が入らない。」
「添加剤が入荷しなくて防水ゴムができない。」
「宅急便が動かない。」
「原発」
「計画停電」
「納期が答えられない。」
「部品が入らないで困っている顔をTV取材したい!」
「中国からのエンジニアの来日延期」
「ドイツ人の奥さんを持つ友人、北海道に引っ越し打ち合わせができない。」
またか!と思う「余震」

家族や家、仕事を失った人達のことを想えば、どってことのない一カ月だったが 平和に慣れきっていた体は正直で、警戒態勢をなかなか解除してくれない。

電気が止まっても、「工場を止めてはいけない!」その一心でやってきた。
それは、震災前、中国のある光景を目にしていたからなのです。

中国沿海部から内陸へ、工場の引っ越しが始まった!

沿海部の取引先が何社か移転したというので、打ち合わせのため、移転先の内陸部〔華西地区〕に飛んだ。

三国志で名高い、劉備玄徳の拠点〔成都〕。
西安 や 武漢 とならんで、中国西エリアの発展著しい古き都です。
取引先が、少し成都から離れているので、鉄道に乗るため成都駅へ向かったのだが


人・人・人・人・人・人(@_@!)
な、な、なんでこんなに、駅前に人がいるの???

多くの人が、駅のロータリーを取り囲み、座りこんでいる人もたくさん!
あまりの混雑に、1時間前にならないと駅舎に入れない。
四川省の奥地から出稼ぎに出てくる人、帰る人 。

▲ 夜行列車を待つ人々

スマートフォンやiPadは、一月1~2万円で働いてくれる、彼らによって組立てられ、世界に供給されている。

映画「3丁目の夕日」、「恐らく戦後の日本、上野駅もこんなだったのだろうな」と思いつつ ようやく、人をかき分けながら、高速新幹線(時速200km以上)で30分。

巨大な新幹線駅をおりると、そこには引っ越してきた巨大工場が居並び、働く人のマンション群がドンドン建築されていたのです。

▲ 最新の新幹線と、オンボロ「出稼ぎ列車」が同じホームで発着!(@_@;)
成都発の夜行列車おりたときから〜♫(石川さゆり風)
向かって左が「出稼ぎ列車」、右が「新幹線」

▲ にこやかにほほ笑みかける、女性添乗員の前を、列車から降りる出稼ぎ労働者。
人・人・人…。

▲ 時速200kmの高速新幹線!

日本のいつか来た道、これからいく道

もはや民生品を単品大量生産することが、成熟化した日本の役割でなくなったことは、解っていましたが、シンセンなどの沿海部の中国の主要都市ですら、その役割が「終わりの始まり」を迎えつつあることを、多くの "人波" は教えてくれました。

賃金格差から内陸から沿海部へ、多くの人が出稼ぎをする時代から、工場が人を求めて内陸へ移動しなければならない。
大陸を舞台に、壮大な富の分散が始まっていたのです。
そこには多額の設備投資の需要が生まれ、その恩恵に日本企業も恵まれるはず。


しかし、商談後の雑談で、中国購買担当者からの言葉は、思いもよらないものでした。

日本製品は1年待ち、台湾製品は半年待ち


「日本製の設備や部品がいいのはわかるけど、1年待ちじゃ、話にならないんだよ。
台湾、韓国メーカーは半年待ち、すぐ入荷するローカル品は品質が心配で、頭が痛いよ」

二月の時点で、すでに日本からの供給能力不足から製品納期は遅く、急速に伸びゆく中国での需要に、既にこたえられていなかったのです。
そして、この震災です、、、。

リーマンショックで痛めつけられたのは、世界どこも一緒でしたが、 経済回復機の震災にかかわる非常事態は日本だけ。

沸騰するアジアの経済は、そんなことお構いなしでエネルギーを放出し続けているのです。

日本のビジネスマンとして、ここは、踏ん張りどころ!

海外のお客様に、以下のお願いを
「日本の工業製品は、放射能に汚染なんかされていない!」
「原発から東京まで180km、島は島でも、日本列島をスリーマイルと一緒にしないで!」
「つつがなく製品供給いたしますから!1通お見舞いメールより、10個の注文をくれ!」

風評被害に負けず、皆さん!がんばりましょう!

▲ 四川省の有名マーボー豆腐店も、『陳麻婆豆腐店』 日中対決!
お味のほうは、日本の陳健一に軍配を!オー辛